なぜ?野田市七光台・光葉町なのか。一つの仮説。
2020年8月22日:情報(ニュース)
野田市七光台という地名はある。
これは郷土史上で出てくるのは、残念なことに歴史はまだまだ浅い話で100年も経ってはいない。
よく、野田市民は七福村から昭和25年に野田市ができたことで、七光台という地名が出てきたが。。
そう考えていくと…。まだ歴史が浅いところでもあるんですね。
これは一説と推測が混じっています。資料を読んでも確証は得られません
急に七光台って出ないよね…
元々は七福村というというのはご存知という人はいますが、そこから七光台という発展するわけにはいきいません。
昭和20年9月に七福村大字蕃昌新田にあった、蕃昌飛行場(野田市にあるの?戦争のお話…。あるんです。第一部)で記述しましたが、野田市に飛行場作っていた話がありました。
これがちょっと絡んでいます。
七光台は二つの団体から
戦後直後。
この野田の蕃昌に作っていた飛行場ですが、国土地理院の空撮写真を見ると1947年には一部田畑が見えるぐらい開拓は進んでおります。
ここの開拓したのが、「七福農業開拓農業協同組合」と「光風台農業開拓農業協同組合」。そして増反(田畑を増やすこと)する営農者が多数入ったこともありました。
ここから、「七福」と「光風台」と合体してできたのが「七光台」という名前の由来になったと思います。
七光台駅という駅は、昭和43年(1968年)に駅と検修区(車両基地)ができたため、あれも戦後なんですね。
今度は。光葉町ができましたね
七光台や谷津。七光台駅前の開発が進んだ21世紀に新たな地名でもある「光葉町」という地名ができました。
ここまで書いていくと気づきますが、七福ではなく、光風台から名前をとったかもしれません。
それならば、光風台でもよかったかもしれません。
今の野田市のことを考えると、桜の里やみずきとほとんどが緑や自然に直結することが多いです。
そこで、光風台ではなく。千葉県の字も「葉」がありますし、光葉台になったのではないかなって思います。